yu-ki’s blog

高知で陶芸してます。サボテンや観葉植物に合う鉢を作っています。クリエイションがすき。

占いもスピリチュアルもない、あるのは科学だけだ、、きっと。

YU-KIです。

気がついたら2020‼︎

 

コロナを経験し、

過去の生活や過去の自分にはもう戻れない。

 

どうせ前の生活に戻れないなら、

いっそのこと新しい生き方を完全に始める

チャンスではないかと本気で思った。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今まで、特に20代に入ってからはずっと自分の感情と闘っていた。

 

外側からの刺激に敏感に反応する感情。

 

1度落ちるとなかなか元に戻らない。

 

コントロールしたい。

 

いちいち反応したくない。

 

些細な刺激にも凶暴に暴れ狂う

浮き沈みの激しい感情を上手くコントロール

幸せになりたい。

 

ついでに楽しい恋愛もしたい。

 

彼氏がほしい。

 

綺麗な景色の前で、延々同じようなアングルのツーショットを撮りたい。

 

そんな写真でフォルダをいっぱいにして、

2日に1回くらい見返してニヤニヤしたい。

 

そして勝手にベスト写真を集めてアルバムとか作りたい。

 

 

そんな思いの繰り返し。

 

 

もういっそのこと

感情なんてなくなればいいのに。って。

出来るだけ周りを見ないように、

気にしないように、

自分の好きなことに集中してきた。

 

占いとかスピリチュアルとかも読み漁った。

 

占い師の家に泊まってみたり。

 

月2でタロットバーに通ったり。

 

最近はだいたい星のせいにして、

今火星が〇〇座に入ってるから感情が荒れやすいよ。

とかも言い出してまぁまぁヤバイやつだった。

 

あるとき、「星の影響とやらに振り回されて大変だね。」と言われた。

 

 

 

驚いた。

わたしだけなの?

星の影響、みんな、受けてないの?

 

 

そしてそれと同時期くらいに、

コロナ自粛で動画を漁っていたら、

 

メンタリストDAIGOさんの動画に行き当たった。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

全てを論理的に、根拠をきちんと添えて説明してくれる。

知らないこともたくさんあった。

感情の浮き沈みが激しい性質等が神経症的傾向が強いと表現されること。

そしてそれを和らげるために有効な行動があることも。

目から鱗が剥がれまくってた。

 

この提案される行動をきちんとやれば、

星の動きにも左右されない、

強いメンタルが得られるかもしれない。

 

そこから、感情及び恋愛の科学的アプローチの実験を開始した。

 

始めてまだ2週間。爆

 

しかし、このコロナのタイミングでマルッと、

スピリチュアルとか占いとか、

そんなフワフワしたものを一旦脇に置いて、

科学的根拠とただの努力の積み重ねで、

もしかしたら、念願の生きやすい人生が得られるのかもしれない。

 

そう思った。

 

次回はDAIGOさんの、動画内容に触れながら、何に取り組んでるかまとめていこうと思う。

 

では。

 

ただ好きなだけ。

2018年も終わろうとしている。

 

この1年はわたしにとって物凄く変化の大きい年だった。

 

それを噛み締めれば噛み締めるほど、全てが繋がって昇華してゆく。

 

2017年以前の自分が全く別人みたいに実感がない。

 

2017年までのわたしは物凄く感情的で、物事を複雑に捉えるのが得意だった。

 

今ならわかるけど、感情を中心にして事実をみていたから見失うに決まってる。

でもそのときは、感情に飲み込まれ感情に支配されまくっていたからどうしようもなかった。

 

自覚だけは一応あって、感情をコントロールする方法を片っ端から学んだ。

 

 

でも全てうまくいかなかった。

 

 

何がきっかけだったんだろう。

 

 

 

よくよく考えてみた。

 

 

 

もしかしたら、

 

 

単純にちょっとだけ勇気を出して、ほんとに自分が心から好きな、憧れの人たちの輪に飛び込んでいったのが、すべてを変えたきっかけだったのかもしれない。

 

 

それはよく見かけるキラキラ系の成功者っぽい人たちでもなく、カリスマ講師でもなく、キャリアウーマンでもない人たち。

 

 

ただ変態チックにマニアックに己の好きを集めたり創り出したりしてウヘヘヘってしてるめちゃくちゃキュートな人たちのとこに飛び込んだ。

 

 

自分を変えたいとかじゃなくて、ただ、いいなー、好きだなーって思っただけだった。

 

そこには新しいけど懐かしい人たちがたくさんいて、そうそうこれこれ、わたしが好きなやつだ。ってすぐに嬉しくなった。

 

周りは知らない人ばかりで、めちゃくちゃアウェーだし緊張するし、決して居心地がいいとは言えなかった。

 

でもその空気感とかその人たちの趣味とするものが完全にわたし好みだったから変な高揚感はあった。

 

とりあえず帰りたくないみたいな。

全部知り尽くしたかった。

気まずさも居心地悪さもひっくるめて、それらを肌で感じていたかった。

 

それは1人では絶対に味わえない高揚だった。

そして男も女もみんなすごく懐が深くてセクシーでイケていた。

 

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定期的にそうゆう人たちのいる場所に行くようになってまだ1年だけど、振り返った今のわたしは、あのときのわたしと全然違う感覚になっている。

 

 

自分の好きに正直に生きなさい。

って言われ尽くされたことだけど、ほんとに大切なことなんだな。

 

 

それまでも、好きなことやりたいことにチャレンジしたり、憧れの人に会いにいったり、新しい環境に飛び込んだり、ずっとやっていた。

 

 

でもそれは、成長したかったり、今のわたしじゃない何者かになりたいという意味での憧れの気持ちが強かった。

 

 

同じ、好きなこと・憧れの人たちなんだけど、今回は違った。

 

 

なんの得も、なんの成長も、なんの結果も期待してなかった。

 

 

ただ好きなだけ。

 

 

それは物凄い勢いでわたし自身を全肯定しているのと同じだった。

 

 

同じようで今までとは真逆のことをしていたみたい。

 

 

それが結果的によかったんだ。

 

 

そうするとすごい勢いで人生は面白さを加速させていく。

 

 

そりゃ、怒ったり悲しんだり落ち込んだり困ったり、いろんな感情は起こるけど、あのときみたいに飲み込まれることはもうない。ほんとに驚くほどない。

 

 

だからわたしがやることは、ほんとの好きをどんどん追求するだけでいいみたい。

常に今を生きる

「もし、これから起こりうることを全部知っていたとしたらどうする?」

 

「その時に感じた気持ちをもっと大切にするかもしれない。」

 

 

人生は思い通りになんてならない。

それでもより良い人生を歩みたいと

わたしたちは試行錯誤したり、苦悩したり、夢見たり、諦めたりする。

 

 

でも、もし過去も現在も未来もなくて

ほんとはすべてのことを知っていて

この難解な人生を体験しにきているとしたら…

 

 

光は常に可能な限り最小な時間で進む。

光はあらかじめゴールを知っている。

 

 

わたしたちもゴールを知っている。

だれもがそこに到達する。

なぜ生きるのか。

わたしたちはゴールに向かわされるなかで

きっと自分の人生には意味があると信じている。

 

 

でも大切なのは

人生に意味を見出すのではなく

ただ人生を生きることなのかもしれない。

 

 

人生を生きる中で

わたしたちは否が応でも

さまざまな体験をする。

そのとき

感情が動き、行動を起こす。

 

 

 それ自体をもっと慈しみ、味わい尽くす。

 

 

人生を生きる中で、

強烈に感じる劣等感や不足感、悲しみや寂しさ、嫌悪感や怒り。

 

それさえも愛おしいと

抱きしめ

眺めること。

 

 

 

 

わたしたちはこの一瞬一瞬を味わい尽くすために生きている。

 

 

 

 「もしすべてを知っているとしたら」

 

 

「わたしはもっと自分を、自分の人生を信頼して突き進む」

 

 

あなたはどうする?

 

 

 

過去にパワーはない。

過去にパワーはない。

 

最近見た、この言葉でとても勇気づけられました。

 

誰しも嫌な思い出というものはあって

時としてそれが襲いかかってきたみたいに、恐怖や悲しみ、不安に心が支配されることがあると思います。

 

 

ちょうど今、

風邪をぶり返したみたいに

過去に清算したと思っていた出来事や感情が再燃しています。

 

 

不思議。

 

まるで、またその現実を追体験しているかのような

臨場感溢れる不安と怒り、悲しみ。。

 

 

でも、あの日、

わたしが受け取った出来事と

誰かが受け取った出来事は

絶対的に異なるのです。

 

 

そして、互いの中に残された記憶さえもまた、全く違うものになっています。

 

 

 

そんな不確かなものを、

わざわざ握りしめて

再び悲しみにくれるなんてもったいない。

 

 

だからって、

急に悲しい気持ちに蓋をする必要も無理やり消そうとする必要もないことを

わたしはもう知っている。

 

 

過去にパワーはない。

と、わかった上でもう少しだけ

悲しみや不安な気持ちを感じてみたり眺めてみたりする。

 

 

ただ感情に支配されるより、ほんの少し、心に余裕があることに気付けるはず。

 

 

そう、いつもわたしに力を与えるのは

わたしだけなのです。

 

親愛なる友へ


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今、わたしの人生の中でもっとも辛かった

出来事と同じような体験をしている友に。

 

 

それはバチが当たったわけでもなく、

運が悪かったわけでもなく、

前世やカルマのせいでもなく、

日頃の行いが悪かったわけでもない。

 

 

どうしてこんなことになったのか、

いつ、どこからやり直したらよかったのか。

いくら考えても答えなんてない。

もう、その道しかなかったのだから。

 

 

たくさん泣いて、叫んで、責めて、発狂して、許して。

 

 

もう、やりようがないくらい、

全てお手上げになるまで。

 

 

いつでも帰ってこれるように待ってるから。

ちゃんと帰ってこれるから。

この素晴らしい日々


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暖かいお部屋の

 

座蒲団の上で

 

幸せそうに丸くなる猫

 

を見守るわたし。

 


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今日は

 

とても人肌恋しい日でした。

 

大切なあの人に

 

そう伝えたかったけど。

 

心の中に仕舞いました。

 

伝えたら、

 

きちんと受け止めてくれると知ってるから

 

わたしは一人で大丈夫。

わざわざ沖縄まで食器を買いに行く②

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こんばんわ、YU-KIです。

沖縄まで食器を買いにいった話の続きです。

 

 

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沖縄の方言で、焼き物のことをやちむんといいます。

沖縄には、やちむん作家の集う、やちむんの里と呼ばれる場所があります。

 

陶芸好きにはたまらない!沖縄やちむんの里 | RETRIP[リトリップ]

 

今回の旅は、そのやちむんの里で食器を買いそろえよう。というのが目的。

 

そもそも、今まで我が家で使っていた食器は、ニトリの無地の白いお皿たち。 

とても便利で統一感もあって、悪くはなかったんですが、前にネットで見たやちむんに一目惚れし、自分で作ろうと試みたが失敗。

いつかは欲しいなと思っていたのでした。

 

 

しかし、沖縄は遠いし暑いし高い。

 

 

そう思ってなかなか行く気になれずにいました。

でもシーズンオフは安い上に、やちむん市まで開催されているというウエルカム状態に、一気にわたしの沖縄熱が燃え上がったのでした。

 

 

ということで沖縄に飛び立ったのですが、前回は寄り道の話だけで終わってしまったので、今回はやちむん市に到着したところからを写真メインでお届け。⬅

 

さっそく、やちむん市到着

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たくさんのシーサーとやちむんが出迎えてくれます。

 

 

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とても可愛らしいやちむんの数々。

 

 

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↑の写真の青色なんて、沖縄の海の色をそのまま付けたみたいに綺麗です。

 

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青色のやちむんが多いのは、沖縄の海の色がとっても素敵だからなんでしょうか。

 

 

魚がモチーフのやちむんもたくさんありました。

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そして今回わたしが購入したのはこちら。

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総額10000円くらいかな?

もうちょっとするかも。

 

 

やはり、現地に行って、自分の目で見て、吟味して、気に入ったものを手に入れることはとても楽しいです。

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沖縄大好きになりました。

また行こうと思います